なんとなく、言うのも気恥ずかしいような気がしないでもないが、最近、柄にもなく、お能について基本的なことを独学している。
実は今までもお能については、大まかなことだけでも識らなきゃなぁ・・・と思ったことがないわけではなかった。
それが、どういうきっかけだったか全く覚えていないが、ある日、世阿弥の「風姿花伝」を読み始めたら(あまりにも、無謀・・・)、なんと、何が何やらまるっきり理解できず、あえなくすぐに降参してしまったからだ。
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私は、理解できなかったり、あるいは、つまらなかったりした本は、いつまでも我慢せずに、読むのをあっさりやめてしまうタイプである。
なぜなら、解らなかったり、面白くないのは、ひょっとしたら今の自分の能力や知見が不足しているせいなのかも知れないからだ。(そうでないこともあるだろうが)
そんな時は、無理して辛いイメージをいたずらに残さずに、一旦保留しておけば、あるいはそのうち時間が経って自分も多少は向上して、また読む気になって、その時には案外と楽しかったりするんじゃないかと思うからだ。
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そうして、「風姿花伝」を忽ち諦めた時に、まずはお能のことを多少は識ってから、また読んでみようと思ったのだ。
だが、それっきり、多分もう20年ほども経ってしまって、その文庫本はすでに薄っすらと茶ばんでしまっている。
なにしろお能といえば、なにやら敷居が高そうなのに、身近にそれを手解きしてくれるような人は誰もいないので、学びたくても取っ掛かりがまるでなかったのだ。
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ところが、ところが、ある日そのきっかけがやって来たのである。
それはこの正月、松の内も明けてのことだったと思うが、昨年亡くなられた私が敬愛してやまない作家の石牟礼道子さんが出られるというので、 NHKのEテレ特集を観たことだった。
内容はその石牟礼道子さんと染色家の志村ふくみさんの長年に亘る交流の最終章とでもいうべきもので、『ふたりの道行 志村ふくみと石牟礼道子の “沖宮” 』という番組だった。
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おきのみや石牟礼さんは、高齢と病身を押して、新作能「沖宮」を遺された。
その背景には、豊かな海の恵みであったはずのものが、それによって命を落とされたり、今も苦しみ続けられている水俣病患者の存在があることは言うまでもないだろう。
だが同時に、東日本大震災で失われた数多の命への、それは、天草の島に生まれ、不知火の海を見て育った石牟礼さんの鎮魂(
たましずめ)でもあった。
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シテ(主役)は、弾圧されたキリシタンによる島原の乱の指導者で、弱冠十六歳の若さで、三万七千人といわれる信者とともに命を落とした天草四郎の亡霊。
その四郎の霊と、乱で生き残り、干魃に苦しむ天草の島で雨乞いのために人身御供となった、まだあどけなさの残る娘あやとの、それは海底にある沖宮への道行の「再生の物語」である。
観ていると、自ずと、四郎はまるで他者の苦しみを我がこととして苦しむ「悶え神」の石牟礼さんご本人に重なり、あやもまた、生きものたちと人との境などない、神話的な世界で幼少期を過ごされた石牟礼さんご本人に重なってくるのだ・・・。
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そうした二人の装束の染色を、石牟礼さんは志村さんに依頼をされて、志村さんが喜んで引き受けられて、こうして始まった能と装束が一つになって舞台で披露されるまでのお二人の創作の過程を、番組は丁寧に追っていた。
くさき
興味は尽きず、志村さんが四郎には臭木の実で染められた「みはなだ色」という独特の水色、あやには紅花で染めた鮮やかな「緋色」で染められた装束が美しいなぁ・・・と思ったものの、もう少しストーリーを詳しく知りたいと思った。
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それで、それに至る石牟礼さんと志村さんのお二人の交流が、「遺言 対談と往復書簡」という形にまとめられ出版されていたのは知っていたので、早速取り寄せて読んでみた。
するとその中に、『沖宮』のシナリオ(って言うのかな?)が載っていて、私の目には、それは新作であるのにまるですでに数百年も演じられてきた古典のようで、文字を読むだけでその情景がありありと目に浮かぶほどに素晴らしいものだった。
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そうして、なにかに導かれるように、身構えることもなく、お能の世界を垣間見たのだ。
それで、思い立ったら吉日、早速Amazonで〈能 入門〉のワードで検索してみたら、いろいろ出るわ出るわ。
そういう時は、まずはできるだけボリュームが薄くて、なるべく写真や図解などでビジュアル化されているものを選ぶのが私の常である。
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いつもの様にそうした観点で見ていったら、なんとその好みにぴったりというか、私のためにあるような本が二冊見つかった。
しかも、それぞれの著者や監修者が、ともに今までに随筆を何冊か読んでいたことのある馴染みの方々でもあった。
そのお一人が女性で初めて能楽堂の舞台で演じたことでも知られる、あの白洲正子さん、もうお一人が免疫学者でお能に造詣が深く、自らも新作能を創作されていた多田富雄さんの手になるものである。
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そうして、その白洲正子さんによる「お能の見方」(とんぼの本) と、多田富雄さんの監修の「あらすじで読む名作能50選」(ほたるの本)の二冊を迷わず注文した。
すると、なんと言う偶然、その日に、やはりEテレの「古典芸能への招待」で『人間国宝 友枝昭世の至芸』が放送されたので、とりあえず録画した。
そうして、注文していた「あらすじで読む・・・」がまず届いたので、ぱらぱらめくってみてた。
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するとそこに、石牟礼道子さんの短文が寄せられていた。
多田さんは、お能を通じて石牟礼さんとは交流があって、重い病で言葉を失った多田さんと、やはり身体がままならない病の石牟礼さんが交わした往復書簡集の「言霊(ことだま)」を読んでいたので、そのことに大して驚きはなかった。
だが、そこに歌人の水原紫苑さんの短文も発見して、少なからず驚いてしまった。
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というのは、このブログでも2回に亘って記したが、今年になってから、水原さんの「桜はほんとうに美しいのか」をおもしろく読んでいたばかりだったからだ。
これはもう、まるで何人もの知人が、私をお能の世界に招じ入れてくれているようではないか・・・。
そうして早速、録画していた演目の「卒塔婆小町」のあらすじだけを読んで、その後に解説の副音声入りでそれを観てみた。
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おもしろい・・・、のだ。
そうこうしている内に、今度は「お能の見方」が届いたので、すぐに読み始めた。
さすが白洲正子、文章が平易でいて、いっときたりとも本質から外れない感じがするのだ。
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忽ちぐいぐい引き込まれて行くと、面について述べられた「仮面について」の冒頭にこんな興味深い箇所があった。(以下、青字)
日本には古くから、何か物の中にこもることによって、別な人格を得る、あるいはもっと美しいものに生まれ変わるという、根強い信仰がありました。
たかみくら
上は、天皇が即位式にこもられる高御座から、手近なところではお伽噺に出てくるかくれ笠・かくれ蓑に至るまで、身をかくすこと自体が、ひいてはかくしてくれる道具までも、神秘的な力を持つものとして崇められました。
ここに行われた仮想の死は、動物の冬眠とか、昆虫の変態といったような、自然との共感から生まれた身ぶりだったのでしょう。
それには後世さまざまの芸術に転身していく萌芽ともいうべきものが見られるように思います。
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おもて
これが、お能の面という仮面を語る上でのほんのイントロ部分、これだけでも、お能がおもしろくないはずはないではないか。
私など、思わず「かぐや姫」や、先日チコちゃんが教えてくれたのだが、明治になって軍国教育のために桃から生まれたことにされたという、「桃太郎」のお噺も思い出してしまった。
これから、五月になって新天皇が即位式で、目下メンテナンス中だという高御座に収まる姿を眼にすることになるだろうが、そう思って見ると、きっと感慨もひとしおだろうと思う。
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ということで、思いがけずも、あれよあれよと言う間に、お能の道へと最初の一歩を踏み出すことができたようだ。
思い起こせば、俳句のきっかけは散歩中、公園の小さな池の中に、数羽の鴨がいたことだった。
何か餌でも捕っているのだろうか、頭隠して尻隠さず、逆立ちするように尻を出したままの滑稽なその姿、すると、まるで天啓のように唐突に、よし俳句をやろうと思い付いて、早いものでもう十二年にもなる。
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その時以上に、今回はなにかの力に導かれたような感じがしてならない。
ひょっとしたら、今生でこれが最後の趣味らしい趣味になるのかも知れないが、そう思うと、なかなかいい趣味に巡り合ったような気がする。
玉繭のシテの風姿で舞ひにけり 子瞳
【註】 玉繭(たままゆ): 繭の美称==============================
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