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日々のしをり

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死刑囚と俳句

                          【追記】あり
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  NHK ETV特集「辺見庸 ある死刑囚との対話」より(2012年4月15日放送)




     天穹の剥落のごと春の雪   大道寺将司




一昨日、イギリスのマンチェスターのコンサート会場で、また凄惨な自爆テロ事件が起きた。

もう知っている人も少ないと思うが、私達のこの国でも、かつて左翼の過激派によって、大企業や行政機関を標的にした爆弾テロが相次いだ時代があった。

そうした爆弾テロの犯人の一人として事件の翌年に逮捕されてから42年間(死刑が確定してから30年間)収監されて、近年は長く癌治療を受けていた大道寺将司が亡くなったと昨日報じられた。

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大道寺は私より2歳ほど上のほぼ同世代で、出身は同じ北海道、あるいは同じ時に同じ東京の空気を吸っていたこともあったのかも知れない。

1974年、私は学校を卒業して4月に入社、研修を終えて5月に札幌の支社に配属されて、学生気分も抜けきらないまま四苦八苦の日々を送っていた。

大道寺が、今日では高級ブティックが並ぶ丸の内の中通りに面した三菱重工業の本社ビル前(当時)に爆弾を仕掛けたのは、その同じ年の8月の平日の昼時だった。

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死者8人、重軽傷者376人、現場は凄惨を極めた。

たとえ大道寺の死を以てしても、その罪を購い切れるものでないことは言うまでもない。

ご遺族は勿論、傷ついた被害者とそのご家族にとって、今なお癒えることのない深い悲しみと、犯人が獄中死したことで行き場を失った怒りの、その遣る瀬の無さは想像に余りあるだろう。

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その大道寺は、獄中で俳句を詠んでいた。

そのことを知ったのは5年ほど前、NHKのテレビに、あの「もの食う人びと」の辺見庸が出るというので、なんとなく見てみたからだ。

辺見庸は癌を煩っていて歩行も困難な身で、東日本大震災で故郷の石巻が壊滅的な被害を蒙ったのを目の当たりにしてから物を書く事が出来なくなっていたようだ。

そんな頃に大道寺の獄中俳句に出会い、それを句集として出版するのに尽力しているという番組だったように思う。

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番組中でその大道寺の幾つかの句を見て、正直驚いた。

私の目指している俳句とはまるで異質で、それが好みかと問われると全く好みではないのだが、それにもかかわらず、そこには強く惹かれる力があった。(なるほど辺見庸の好むことがよく分かった)

そこには、外の世界から一切を遮断されている者だからこそのまぎれもない俳句の世界が、来る日も来る日も、明日の朝には絞首台に吊るされるかも知れない者ならではの、張り詰めた生の証しがあった。

まるで、その一句一句が辞世のようだとでも言えばよいのだろうか・・・。
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それで、その時に大道寺が詠んだ句の画像を何枚かケータイで撮影しておいたことを思い出したのだが、その内の一枚が冒頭の写真である。

それを見ていると、誤解を恐れずに言うなら、大道寺は鋭敏な感性を持った多分まじめ過ぎるほどにまじめな青年だったのだろうという気がした。

もし、もう少しいい加減で、いたって平凡な人生を送っていて俳句に巡り会ったなら、どのような句を詠んだのだろうと、つい思わずにはいられなかった。

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ふと、そういえば自分も冒頭の大道寺の句と一見同じような情景の句を詠んでいたことを思い出した。

それは、下のようなある追悼の句で、逝去の夜にふわふわ舞っていた春の雪を思い出して後日詠んだものである。

見比べてみると、大道寺の春の雪は寒くて狭い獄中での心象であり、春というにはあまりに硬く鋭い雪が止むことなく彼の頭上に降り苛むようだ。


          そら  こぼ
       淡雪や天から溢る供花    子瞳   





【追記】

上記をアップし終わってから思い出したことなのだが、一昨日あの危険極まりない「共謀罪」法案が呆れ果てるほどにいい加減な形式だけの虚しい審議(?)の末に、与党(維新も閣外与党である)の強引な採決によって衆院の本会議を通過した。

ところが、その前日の22日に、今から46年前の1971年11月に、過激派の警備の応援要員として新潟県警から派遣されていた警察官を殺害した容疑者の中核派の男と目される人物が、広島の潜伏先で逮捕されたことが報じられた。

そのニュースはNHKはじめ民放各局で流されたが、迂闊にもそれがどの局かは覚えていないが、当時のその現場での被害者である警察官が火炎瓶の炎に包まれ路上に横たわっている映像が流された。

それを見て、咄嗟になにか奇異な印象を受けてしまった。

その映像はさすがにボカシが掛かっていたものの、概ねその悲惨な様は見て取れるほどのもので、昨今ではボカシの有無を問わず、外国のニュースでしか見ることのない映像だった。

今日この国のテレビでそうした映像を見ることがないのは、残酷な映像を見た視聴者にショックを与えない配慮とか、生死にかかわらず悲惨な状況にある被害者の人権保護だとか、その他にも理由があってのことだろうと思われる。

その是非はともかくとして、どうしてそういう映像は放送しないという暗黙のルールの埒を越えて、死者やご遺族に思い遣ることもなく、このまだ過激派学生と同じような年格好だった新潟県警の警察官にも適用されなかったのだろうか。

そして、そもそも容疑者らしき人物が逮捕されたのは18日とのことで、それがマスコミにリリースされたのは、与党が「共謀罪」法案を多数を以て衆院で通過させる予定の前日の22日だったのだ。

今のマスコミは総てではないにしろ腰が砕けて、国民に視聴料を課しているNHKや読売新聞(産経は言わずもがな)をはじめ官邸の広報と堕して、官邸にとって都合の良いことばかり報じて、不都合なことには蓋をしている。

そうした中での、この老いた容疑者を逮捕したとの発表のタイミング、そして暗黙のルールを逸脱するような犯行時の残虐な映像の放映・・・。
           すべ
こうしたことを究明する術は残念ながら私にはないが、そのあまりに露骨で不自然な成り行きを見ていると、シニカルに笑ってばかりはいられない。

きっと、こういうワル知恵をどこかでだれかが、あざとく「共謀」しているのだろう。





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by sido-nikki | 2017-05-25 10:49 | 俳句の話 | Comments(0)
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