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日々のしをり

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ジェントルマン



なにを今更と言われそうだが、近頃、NHK–BSのイギリスのドラマ「ダウントン・アビー」にすっかり嵌まっている。

不覚にも、それを観始めたのは最初のシリーズが始まって相当経ってからだ。

それはイギリスのロンドン郊外の伯爵家の物語り、今放送中のものは最終シリーズで1920年代、栄華の時代も過ぎて徐々に沈みゆく貴族階級を描いていてとても面白い。

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貴族階級の落日を描いた物語りといえば、すぐに貴族出身のルキノ・ヴィスコンティ監督の映画、たとえばイタリアの国家統一の時代(日本の幕末期)を背景とした「山猫」が思い浮かぶ。

ヴィスコンティの作品の多くは滅びが主題で、それはそれでとても魅力的ではあるのだが、そこには貴族はいても、その使用人に目を向けられることはない。

だが、「ダウントン・アビー」は、伯爵一家と共に、その一家の生活全般を支える執事や召使い、料理人や庭師など様々な使用人が活き活きと登場しているのがとても興味深いのだ。

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記憶が定かではないが、たしか高校の頃、伊丹十三の本だったと思うが(「ヨーロッパ退屈日記」?)、そこに、ジェントルマンとは教養があって礼儀正しいいわゆる紳士のことを指すのではなくて、それはそういう呼称の階級のことなのだと記されていた。

なにしろ階級などその残り香さえもない戦後のこの国で育った身としては、なんとなく頭の中ではその意味が分かったようで、それでいて全く実感は伴わず、ふーんジェントルマンとはそんなものなのか・・・という気がしたことをなぜかよく憶えている。

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試しに、たった今ネットでジェントルマンを調べてみたら、『世界大百科事典 第2版』が出典として次のように解説されていて、半世紀を経て、モヤモヤが解消できたような気がする。

ジェントルマン【gentleman】

中世末から近代初頭に成立したイギリスの社会層。16世紀以来のイギリスの支配的階層であるが,その具体的な内容は時代によって微妙に変化している。本来のジェントルマンとは,地代収入によって特有の奢侈(しやし)的な消費生活や教養,政治活動を中心とする行動様式などを維持しえた有閑階級のことである。基本的には,公侯伯子男という爵位をもつ貴族と,身分的には庶民であるが,貴族と同様に〈家紋つきコートcoat of arms〉の使用を認められていた〈ジェントリーgentry〉とがその構成員であった。

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その階級としてのジェントルマンとは口を利いたことはおろかお目に掛かったこともないが、きっと私達がイメージするような “ 紳士的な " ジェントルな人種なのだろう。

というのは、「ダウントン・アビー」を観ていると、富と権力を持つ貴族にとっても人事は悩ましく、ジェントルとは領地の統治のためだけではなくて、好い使用人を確保して、美味しいものを食べて気持ちよく暮らすために不可欠な要素であるように思われるからだ。

シェークスピアの時代から、きっと貴族は貴族なりに、使用人への気配りは結構たいへんだったのかもしれない。(まぁ、自分とは全く関係ない話だけどね)





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# by sido-nikki | 2017-06-23 12:03 | テレビの話 | Comments(0)

再会


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久しぶりに旧友と会った。

もうかれこれ半世紀近くにもなろうかという仲だ。

いつものように、顔を会わせるなり、たちまちあの頃に戻ってしまう。
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日の高い時間はさすがに暑いものの、夕べ近くになるとめっきり凌ぎやすい。

肴はどれも美味しくて、冷酒もすっきり。

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何はともあれ、とにかく元気でいてほしい。

別れて、そんな気持ちが尾を引いた・・・。


                
      夏めくやほのか心は青めいて   子瞳
     



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# by sido-nikki | 2017-06-19 19:13 | うれしい話 | Comments(0)

山法師の幻想


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                          ほう   当地ではいまが山法師の花盛り(正確には花ではなくて、苞というものらしい)、車で走っていると、あちこちで目に入ってくる。

私はこの開花の様がとても好きで、この時季になると決まってある想いにとらわれる。

以前も述べたが、私にはそれが大振りの白い蝶々が新緑の葉々の上に留まっているように見えてしまうのだ。

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それで、花の数が少なければそんなことはないのだが、きっと日当りの良い樹なのだろう、あまりにも花の数が多いと、もはや気持ち悪く感じてしまうほどだ。

すると、その群れがいまにも一斉に空へ翔び発つような気がするのだ。



      白き羽をあまたやすめて山法師   子瞳




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# by sido-nikki | 2017-06-14 00:03 | 草花や木の話 | Comments(0)

古書の謎



2年ほど前に、引越しを機に特に大切な本だけを残して、かなりの量の本を売り払った。

結構長くなった人生の中で、古書店で本を買うことはあっても、それまで古書店に本を売るなんて発想自体が全くなかった。

だから、なんとなくさみしい気がしたが、いざ2度引き取りに来てもらった後に、言いようもなくスッキリ爽快な気持ちがしたのはとても意外なことだった。

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それからは、また本が増えないように図書館に行って借りて来て読むことにした。

これはなかなかいい考えで、ずいぶんと借りて主に寝る前に読んだが、図書館には好みのジャンルや著者の本というのは案外と限られていて、次第に通う頻度が減ってきた。

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それで最近、アマゾンで古本を買ってみることにした。それなら惜しみなくすぐにどんどん棄てることができるだろうと思ったからだ。

ネットの古書販売というものは不思議なもので、100円なんて価格設定が結構多くて、梱包などの発送の手間を考えたらこれではたして採算が取れるのだろうかと、つい余計な心配をしたりする。

だが、自分が大切にしていた本を売った時のことを思い出せば、本の内容などほとんど関係なく、一山幾らという仕入れなので、商売が成立するということなのだろう。

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そんなことを考えつつ、送料を含めても500円ほどでポチッと注文した古本が、外出して帰ってきたら郵便受けに届いていた。

さっそく封を切って見てみたら、これがまるで新品のように予想をはるかに超えてきれいだった。

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書き込みとかシミやキズも折り目も一切無いし、そもそもこの本は頁をめくられたことがあるのだろうか?とさえ思ったほどだ。

というのは、本屋で買う時に、本に挟まれていてレジで抜かれる「注文伝票」までもが皺ひとつなく挟まったままだったからだ。

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すると、ある疑念が湧いてきた。

はたしてこの割と最近出版された本は、購入されたことがあるのだろうか・・・?

ということは、ひょっとして万引きされて転売されたものじゃないのだろうか・・・。

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しかし・・・、高価でもない普通の本を、わざわざ転売目的に万引きするものだろうか・・・、こんなジジくさい本を・・・?

それとも、私などが与り知らぬ、何か業界の事情があるのだろうか・・・。



     迎へ梅雨いまは未練の本ばかり   子瞳




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# by sido-nikki | 2017-06-11 12:38 | 本の話 | Comments(0)

老いのメリット



もうずいぶん昔のことだが、岡潔という有名な数学者がいて随筆でも有名だったので、高校の頃だったか大学の頃だったか、ちょっとだけ本を読んでみたけどちんぷんかんぷんだった。

ちんぷんかんぷんと言えば、その時代すぐに思い出すのは小林秀雄という人で、日本語なのに、英文と同じように、いやそれ以上にさっぱり解らなかった。

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世の中には、こうした人達の本の頁をめくる度に、ふむふむ、な~る、さすが!、ちょっと違うなぁ・・・、なんて感心したり疑問に思ったりする人がいるようで、そう思うと読解力のない自分が情けなかったりもした。

しかも、この難解な二人が対談をした本(「人間の建設」)もあって、いったいどんなだろうと思って手に取ってはみたが、やはり、ちんぷんかんぷんだった。

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なにしろその理系と文系の両巨頭の対談は、いわばちんぷんかんぷんの二乗みたいなもので、その中身は全く憶えていない(意味が解らないので憶えようもなかった)。

だが、ひとつだけ印象があって、それは科学と文学とで道は全く違っても、その道をどこまでも極めて行けば、“行き着く先にはどうやら同じような景色が見えるらしい” 、ということだった。

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そんな印象が今でも頭の片隅にあるからだろうか、先日NHKのEテレの対談番組がその日は「坂本龍一×福岡伸一」というものだったので、どんなものかちょっと覗いてみた。

方や音楽、方や生物学のオーソリティによる話なので、意味不明なことも少なくなかったが、「岡潔×小林秀雄」よりははるかによく解った(ような気がした)。

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私には、それぞれが発するテクニカルな言葉は意味不明だったが、お二人は互いの言葉をよく理解しているようで、やはりその道を極めた人にしか見えない景色というものがあるようだった。

だがそんな私にもとても得心のゆくことが、番組の最後に語られたのだ。

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坂本教授が、ナントカカントカ、ウンヌンカンヌンで(よく解らなかった)、こんな歳になってようやくこんな簡単なことが解ったんですよ、と言った。

福岡教授はそれに応えて、簡単なことってそれが解るのに時間が掛かるんですよ、というようなことを言った。

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そうそう、そうなんだよ。

若い時には頭で観念的には解っても、身体全体で実感として解るには時が必要なんだよ。

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歳とることの良さって、それに尽きると言ってもよいんじゃないだろうか。

この歳になって、俳句の僅か十七音が、宇宙に触れる顕微鏡や望遠鏡のようなものだと分かったんだからからねぇ。






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# by sido-nikki | 2017-06-07 13:27 | 俳句の話 | Comments(0)